ガラスの華

 うちの屋根裏部屋にはガラス細工の人形があった。身長は五十センチくらいの女の人。裾の長いドレスを着てさっと身を翻すようなポーズをとってる、いかにも骨董品といった感じのやつ。普段は輪郭しか見えないくらい透明なんだけど、天窓から光が差し込むと薄紅色に輝いてすごく綺麗だ。おじいさんが蚤の市とか何とかで買って来たらしい。
 彼女-僕は彼女って呼んでる-はずっとリビングの端に飾られていたんだけど、おじいさんが亡くなってからは見向きもされなくなって屋根裏に追いやられた。僕はかえってその方が良かったんじゃないかと思う。彼女はうちのこざっぱりした家具とは相容れない感じがしていたから。埃やクモの巣まみれの屋根裏部屋に君臨する女王。僕は毎日のように埃を拭き取ってやる、おじいさんの後を継いだ忠実な家来。
 ところである日、屋根裏に上がった僕は何か硬い物にに頭をぶつけた。金属的なんだけど響きのないぶつかり心地だった。見上げてみると一面に何か透明な板が広がっていた。僕は瞬時に悟った。ガラスだ。感情のないガラス板が部屋一面、水平に張られているんだ。試しに手の甲で軽く叩いてみた。厚さ は大してないけれども割れそうな雰囲気もあまりない。
 無造作に積まれた段ボールの一つを蹴り飛ばしてみた。大体予想してた通り、ガラスの高さで真っ二つになっていた。蓋をなくした方の段ボールは古いおもちゃを盛大にばらまいて、上に残った方は人体解剖図みたいに中身の断面をさらした。
 急いで表に出てみたら、太陽の光がゆがんで落ちて来た。ガラス張りになったのはうちだけじゃなかったんだ。ニュースは多分、世界はガラスに覆われましたとか言ってるに違いない。ガラスの上に取り残された人々は自衛隊の救助を待っていてどうとか。
 そういえば。僕は人形のことを思い出した。彼女の首辺りが丁度ガラス板の高さだったはず。屋根裏の女王が首斬りなんてことになったらどうしよう。屋根裏のマリー・アントワネット?勘弁してください。
 慌ててはしごを上ってまた頭をぶつけて、それから彼女を見て驚いた。ガラス板は彼女を斬り捨てるどころか彼女と一体化してしまっていた。元々一緒だったみたいに。彼女はガラスの海から首だけを優雅に覗かせて、いつもと同じ微笑を浮かべていた。天窓からは午後の光が差し込んで、彼女と彼女を取り巻くガラスを薄く色付かせている。
 その時、どこかで歯の付け根に響くような音がした。誰かがガラスを殴りつけたんだ。それも大きなつるはしとかハンマーで。
 音は繰り返される内に段々と大きくなってきて、伝染病みたいにあちこちへと飛び火した。そして遂にガラスが割れた。世界を覆っていたそれが上げる悲鳴はとても無機質で、僕以外誰の耳にも届かないように思えた。
 あちこちで悲鳴が上がる中、僕は彼女を振り返った。彼女はドレスの裾を軽くつまみ、表情一つ変えずに足下を見下ろしている。
「どうすればいいの」
 やるせない気持ちで問いかけたけど、答えは帰って来ない。辺りではもうオーケストラみたいに、みんながハンマーを打ちおろしたり打ち上げたりしている。僕はもうどうしようもなくなって、仕方なくその場に座り込んだ。こんな事、彼女は望んでいるはずないのに。みんなガラスくらいそっとしておいてやればいいのに。
 いや、違う。唐突に気がついた。別にこれで構わないんだ。
 こうして割られたガラスは数えきれない破片になって世界を覆い尽くす。粉々になったガラスは夕陽を浴びて見渡す限りを哀し気な色で染め、夜は月を照らし出すに違いない。大きく残ったものは人知れずオブジェになって、いつか誰かがそれを眺めるに違いない。彼女はそれを知っているから、何も悲しんだりはしないのだろう。
 この綺麗なガラス人形は、もうしばらくすれば形をとどめなくなる。僕の思い描いた光景を彼女が見る事も、きっとない。切り立った崖みたいな響きはゆっくりと、確実に近づいて来る。せめて、最後の瞬間までは屋根裏の女王様を眺めていよう。僕はそう決めると足を崩し、にじむ涙を埃だらけの指ですくった。
最後まで読んでくれてありがとう