「夕御飯の食材と果物と、あと私と君のおやつを買ってきて。町中では声を出して話してもいいですよ」
小兎は真ん中に広がったぬかるみを軽やかに飛び越え更に走る。道の両脇は奥深いブナの林。身の丈十数メートルはあるそれらは枝一杯に黄緑色の葉をまとわせ、夏の到来を心待ちにしているようだ。木々の合間のあちこちには堅苦しい薮が生い茂っている。
冷たさの残る春風が密集した葉を揺らし、乾いた音が通り抜ける。小兎は身をすくめてローブの襟を軽く絞めた。
「二時間くらいしたら始めるから、それまでに帰って来なさいね。遅れても待ってませんから」
どうしてそんなこと言うんだろう。小兎は声を出さずにつぶやいた。それから胸元の懐中時計をちらりと見る。何とか間に合いそうな時間。急いで買い物を済ませた甲斐があった。
小兎は一息吐いて足をゆるめた。太陽は林の上からその破片を覗かせるだけで、暖かな光はほとんど彼女まで届いて来ない。町では空気いっぱいに感じられた春も、ここではまだ予感程度のものでしかないのだ。
焦げ茶色の土は先日の雨を飲み込み切れずにぐずつき、あるいはぬかるんだ水たまりを作っていた。道のあちこちには手のひらに乗るほどの石ころ。足下に現れるそれらを脇へ蹴散らしながら魔法使いの少女は進む。そして、その一つにつまづいて転んだ。
宙に浮いた刹那、小さく悲鳴を上げつつもバスケットを必死に守る。彼女の目が数瞬のあいだ見当識を失い、次いで両膝が勢い良く地面にぶつかった。
小兎の足をすくったのは地面に埋まった岩の一部だった。さながら小人用の山のように、尖った頭頂部を地上へ突き出していた。小兎は憎々しげに灰色の峰を見下ろし、蹴飛ばそうとしてすぐにやめた。膝についた土を払ってバスケットを抱え直す。
「先生のいじわる」
そうつぶやいて再び歩き出した小兎に先ほどまでの躍動感はなかった。
「もう少し」小兎は小さく言って、すぐに口をつぐんだ。万一先生にばれたら、とても困った事が起こるに違いない。
太陽が雲の向こうに隠れ、また顔を出す。それが三回繰り返された後、小兎は目的地に着いた。
右側の木々が唐突に途切れ、その先に楕円形の空間が広がっていた。道は空間を時計回りにたどって彼女の家へと続く。道と林に囲まれた場所には一面の花。花びらは鈍く銀色に輝き、細かな葉はさながら絨毯のように広がって地面を覆い隠している。
小さな花園の奥、家の手前に先生がいた。小兎と同じ柄のローブを着て、観察するように空を見上げている。彼女は小兎に気付くと軽く手で待ての合図した。
間に合った。小兎は声に出さないよう注意してつぶやき、ゆっくりと足を止めた。先生は再び空を見、ブナを透かして太陽の位置を確認すると花々の方に向き直った。
先生が一瞬視線を鋭くしたかと思うと、目の前に強烈な光が現れた。光は辺りを照らしながらなだらかに滑降し、花びらを通り抜けて一旦消えたかと思うと瞬時に花園全体へ広がった。間もなく花々は炎に包まれた。
それは奇妙な炎だった。目と鼻の先で燃えているくせに熱さを全く感じないし、無数の花達から発しているはずなのにゼリーよろしく一塊になってゆるやかにうねっている。色は乳白色で、あちこちに花から吸い上げたような銀色の光が散りばめられている。先生は壮大な炎のあちらで満足げな表情を浮かべた。
「まだこっちに来ちゃ駄目ですよ」先生の声が頭の真ん中に響いた。
「分かってるよ、先生」小兎が無言で答えると、先生は微笑んで頷いた。
間もなく花のほとんどが燃え尽き、炎が勢いを弱める。すると先生は軽く右手を上げ、止めとばかりに指を打ち鳴らした。それを合図に花園を覆っていた炎が一気に中心へと集束し、整然と渦を巻き始めた。集束の勢いは加速度的に強まり、炎は瞬く間に煙と混ざり合って行く。
小兎は思考を失ったような惚けた顔でその様子を眺めていた。口はだらしなく空いたまま、両腕はバスケットを取り落としそうになるほど脱力して。
「おやつ落とさないように」
「大丈夫だって」答えつつ、慌ててバスケットを抱え直す。
それと同時に残った炎が全て一つにまとめ上げられ、天に向かって一気に爆ぜた。
小兎は反射的に空を見上げる。遥か彼方で拡散するそれはもはや炎とも煙とも呼べない、ただの不思議な空気だった。それは散り散りに広がって空を覆い、やがて消えた。
儀式が終わったのを確認して視線を戻すと、先生は何やら上空を指差した。小兎は再び顔を上げ、次いで息をのんだ。
雲が乳白色に変化しており、花を名残惜しむかのように銀色の光を放っていた。ブナの影に消えて行く雲も、風に乗って現れる雲も、どれもが傾きかけた日の光を浴びて控えめに煌めいていた。
「花雲ですよ」頭の中に先生の声が響いた。「これが好きでやってるようなものだから」
「先生!」小兎は思わず声に出して彼女を呼んだ。
先生は微笑んで頷き、口を開かずに続けた。「声を出していいのは町中だけって言いましたよね。後は念話でって。罰として君のおやつは私がいただきます」
「待って、今のなし!」
「待ったなし」
「先生のいじわる」
こりずに三題噺のコンテストに応募してみます。題目は以下の通り。
時間「タイムリミット」
場所「花園」
人物「先生」
先生には賛成であります。洒落じゃねえよ。しかしわたくしが書く先生はどうして弛緩した奴ばかりなのだろうか。やる気満々の先生が嫌いだからですか。ああ確かに金八は好きじゃありません。家まで来るんじゃねえ!
ちゃんと人物を描いてみなさいと言われて頑張ってみましたが、今回はちょっと駄目でした。ごめん。毎回ライトにしようとかときめこうとか思いはするのですが、ネタを出すとその時点で大体無理という事が多く、如何にも柔軟性欠如してやがるなこいつといった感じの作者です。でも次は頑張るよ。具体的にいい案があったら教えてください。気取らなければいいのかしら。
今回の話もまた事象の描写に終始した感がありますが、一応バックグラウンドのイメージはございます。銀の花を焼いた灰は養分がとても多く、痩せた土を蘇らせるのです。焼き畑みたいなもんですね。で、翌年は地味に野菜を作って保存食にしたり町に出荷します。魔法使いなのに。小兎ってのは字名みたいなもので、本名は、えー、考えてません。誰か考えてみてちょうだい。先生は先生です。字名は気違い鼠にしようと思ったんですが、さすがにかわいそうなのでやめました。どっちにしてもこの話には関係ないわけですが。
ともあれこれをそのまま投稿してもきつそうなので、大幅にアレンジするか他のものを投稿することにします。二千字という縛りはシチュエーションだけで持って行くか会話だけで持って行くか、どちらにしても物語として成り立たせる字数じゃないのだよなあ。僕にとっては。まして電撃なので、もう少しこう、キャッチーにしなければならんとは思います。