ファクトリーブランク

 それは本当にたまたまだった。学校の帰り道、廃工場を覗いたらそこに彼女がいたのだ。
 淡い秋空の下、パイプの絡み合った鉄塊に入って行くすらりとした後ろ姿。セミロングの髪の脇で控えめな曲線を描く肩。真っすぐ伸びた背筋。滑り落ちてしまいそうなブレザーも、小学校の頃から変わらない。間違いなく五月さんだ。
 僕は半ば無意識に立ち入り禁止のロープを乗り越え、建物の暗がりに消えようとしている五月さんを追いかけた。
 入り口をくぐると足音が金属質に変わる。足場はチタンだろうか、作られてから長い時間が経っているはずなのにほとんど錆がついていない。格子模様の奥にむき出しの地面が見える。
 最初の音で気付かれてしまったはずなのに、五月さんの歩みは乱れない。まるで誰かが来るのは予定通りと言わんばかりの落ち着きぶりで、奥へ奥へと進む。薄闇に紛れてもう後ろ姿すら見えないけど、どこにいるかは彼女の足音が教えてくれる。
 彼女がくれる手がかりを聞き逃さないよう気をつけつつ、慣れない建物を歩いて行く。間もなく足音が上昇を始めた。階段だ。僕は見つからないよう階段の死角に一旦隠れ、少ししてから急いで後を追う。
 百段も上っただろうか。重苦しい鉄の扉が現れた。一つ深呼吸をして心臓を落ち着かせて、それからそっと押し開ける。吹き込んで来る風にひるみながらも表に出ると、そこは建物の外周だった。軽く足がすくんで高所恐怖症だった事を思い出す。
 見上げると大小様々の鉄パイプや導管がパズルよろしく絡み合って、その中心を太い煙突みたいな塔が貫いている。僕はそこを螺旋状に取り巻く一本道にいた。前からここの事は知っていたけど、人が上れるなんて想像もつかなかった。でも、ローファーと床板が奏でる音はまだ続いている。五月さんは確かにこの先にいる。
 塔の周りを五周してようやく頂上が見えて来た時、五月さんの足音が止まった。心臓が少し高鳴った。僕は何かに背中を押されたように金属の坂を駆け上がった。
 頂上は半径三メートルくらいの円形だった。簡単な手すりの他は何もなくて、顔を上げると町の隅々まで見渡せる。上から見る町は昔のゲームみたいに平坦で、そこに落ちる雲の影はシュールな模様みたいだった。そして、手すりのこちらに五月さんがいた。
「五月さん」そう呼びかけると、彼女は驚いた様子もなく僕を振り返った。
「早かったのね」
「僕だって分かってたの?」
 五月さんは頷いて楽しそうに笑った。「当たり前よ」当たり前だったのか。これだから同い年なのに僕が弟みたいに思われるんだ。
「ここはよく来るの?」
 五月さんは再び頷く。手すりにもたれて町を見下ろす。
「危ないよ、寄りかかったら」
「大丈夫よ。君もこっち来て、一緒に見よう」
 僕は恐いのを我慢して五月さんの隣に立った。風が足下から吹き上げて来て、思わず身をすくませる。それを見て五月さんは微笑む。「そう言えば高所恐怖症だったっけ。よく上って来られたね。偉い偉い」
「それはそれ、これはこれ。あれ、うちの小学校だよね」僕は川向こうに見える背の低い校舎を差す。五月さんと出会った場所だ。
 僕達の真上を薄い雲が通り過ぎた。一瞬視界が暗くなって、すぐに光が戻る。五月さんが何か言ったけど、風の音にかき消されてよく聞き取れなかった。何も聞こえなかった振りをするかどうか迷って、とりあえず彼女の顔を見る。
「何?」五月さんは少し戸惑った様子で視線を重ねる。彼女はいつも話し相手から目をそらさない。
「五月さん、僕とつき合ってよ」口をついて出たのはそんな言葉だった。
 五月さんは一瞬驚いたけど、すぐいつもの穏やかな表情に戻る。そして口を開いた。「うん」
 僕は不意に脱力感を覚えてその場にへたり込んだ。自然と大きなため息が出た。
「それ、失礼じゃない?」五月さんが傷ついたように言って僕を見下ろす。
「ごめん。ただ、これ言うのに十年かかったと思うとさ。つい」
 そう、僕はずっと四苦八苦していたのだ。小学校の時からずっと。ひたすら。ただこの一言を伝えようとして。
 五月さんは笑う。「でも、私から言う訳にもいかないじゃない」
「そうだね。ごめん」
「そうだ」と五月さん。何かを思い出したように人差し指を立てる。「一つだけ条件があるの。いい?」
「もちろん」
「私を五月さんって呼ぶのをやめてよ。まるで保護者よ」
 僕はあんぐりと口を開けた。
「何?」
「そう呼べって言ったの五月さんじゃない。小学校の時」
「そうだったっけ」五月さんは身に覚えが無さそうな顔をする。「ごめんね、忘れた。とにかくこれからはさん付け無しでお願いね」
 僕は諦めて頷く。「五月……ちゃん?」
「あ、何だかそれもこそばゆい」
「それじゃ、しばらくは五月さんのままで」
「仕方ない」五月さんはため息をつく。「早めに直してよね。それまでは仮だから」
 僕達は笑みを交わし、上空を千切れ雲が通り過ぎて行く。

後書き

 今回も三題噺のコンテストに応募してみました。題目は以下の三つ。
 時間「偶然」
 場所「立入禁止」
 人物「後ろ姿」
 時間と人物についての言葉遣いが明らかにおかしいと思いますが、まあいい。そもそも無理のある縛り方だったってことですか。とにかく今回はすごい。何と一発で2000字弱の文章が出来上がりました。うわあすごいねこいつ!即入選!などということはあり得ませんか。次のテーマは何だろうなあ!
 工場を使っている時点で需要と供給のずれを感じますが、これでも頑張ってライトノベールを書いたつもりです。分かってくれるよなブラザー。シスター。駄目か。うん、確かにもうここまでにしようとか思った。


最後まで読んでくれてありがとう