エレベーターオレンジ

 地球の裏側に行けるエレベーターの無料チケットが当たったので五月を誘ってみたら、意外とあっさりOKが出た。二人きりだけどいいのかって聞いてみたら、五月は笑いながら言った。
「だって君は何もできないし、監視カメラみたいのも付いてるでしょ」

 エレベーターは高さが三メートル半くらい、直径は五メートルもある円筒形のやつだった。壁は全面が分厚いガラスでできていて、熱を全く通さないのだという。試しに軽く叩いてみたら奥行きのない音が返って来た。
 僕と五月はいくつかの説明と注意を聞かされてからデジタルビデオカメラと一緒にエレベーターに乗り込んだ。諸事情からカメラを中に取り付ける事はできないし、きっと良い思い出にもなるからと係員は言った。僕たちは撮影係。これに乗る人みんなに同じ事をお願いしているらしい。
「監視カメラはないって」僕は五月に伝えた。彼女はふうんと小首を傾げ意味深な表情を見せる。
 音声はやり取りできるから何かあったら足下のインターフォンでと、係員は床を指差しながら言った。薄く延ばされたクリームみたいな平面の一角に正方形の細い切れ目が入っていた。蓋を開けてボタンを押せばすぐ地上とつながります。いいけど、どこに指を引っ掛ければ開くんだろう。
 僕の疑問に気付いたのか、五月がひょいとしゃがんで切れ目の角を押した。蓋が回転扉の要領でからんと回る。係員がうんうんと頷く。無視して覗くと中には赤くて丸いスイッチがあった。非常スイッチは万国共通なんだ。
 準備が整って僕たち以外の人間が全員降りるとおもむろにガラスの扉が閉まり、蒸発するような音を立てて隙間が埋められた。それと同時にエレベーターの中を沈黙が満たす。空気も心なしか動きをゆるめたみたいだ。世界から切り離されたみたいで何となく不安になる。
 と、五月の指先が肩を叩く。振り返ると外を指差していて、その先では係員が口をぱくぱく動かしていた。最初は普通の調子。通じないと思ったのか二度目は少しゆっくりと。どうやら大丈夫とか言っているみたいだけど、それでもはっきりとは分からなかった。音は全部ガラスに吸い取られて、こちらにはジェスチャーともごもごした口の動きしか届かない。
「大丈夫って聞いてるんじゃない?」五月が助け舟を出す。やっぱりそうなのか。
 試しに大丈夫と口を動かして頷いてみたら、彼は安心したような顔になった。何だか遭難者みたいな気分。
「五月は何かある?」
 彼女は少し考えてから、はっとしたように指を立てた。「空気!」
 そう言えばそうだった。すぐさまメモを取り出し、『空気』と書いて外に向ける。五月はそれを見て疑わしそうな顔になり、じっとりした視線を僕に投げかけてきた。確かにもっと書きようはあったかもしれないけども。
 係員は持っていた資料を裏返してボールペンを走らせ、にっこり笑ってこちらに見せた。
『装置があるから平気です』
 油断ならない言葉だ。
 とにかく夕方五時半、エレベーターは出発した。これが最後になるかもしれないと冗談めかして見上げた空はオレンジと白のコントラストがとても綺麗で、一億キロくらい向こうに太陽がゆらめいていた。

 エレベーターは最初の十分くらいで一気に加速して、最高速に達したらあとはひたすら淡々と地面を下降して行った。周りはしばらく無骨な岩や土ばかりだったけど、奥へ進むに連れてなめらかな粘土みたいに密度を増し始める。時々思い出したように地滑りを起こす。その度に地上は揺れているんだろうか。
 僕は最初、少しばかり神妙な気持ちで風景を撮影していた。何かの役に立つかもしれないと。でも、やっぱりそんな事はないだろうと思い直して五月を撮ったりして怒られた。記念なのに。彼女は単調な風景なんかすぐに見飽きたらしく、所在無げにごろごろと転がっていた。
 三十分くらい経った頃、エレベーターが地球の中心部に入り込んだ。五月があっと声を上げ、僕も釣られて間の抜けた歓声をもらした。
 そこはついさっき見た夕焼けと同じ色で満たされていた。溶けた金属があちこちで泡立ったり渦を巻いていて、煮立った魔女の大釜か溶鉱炉の中といった感じ。慌ててカメラの電源を入れ直す。すると五月が僕の隣に寄ってきてあっちこっちと指示を始めた。それまでは退屈そうに座っていたのに、すっかり機嫌を良くしたみたいだ。
 間もなく中心ですと自動音声。単語単位で録音したのか、妙なアクセント。重力がどうこうなので方向を転換します。ややあってエレベーターの速度が落ちて行き、地球の中心という所で一旦停止した。それから何か分岐が切り替わるような音に続いてゆっくりと回転を始める。エレベーターを取り囲んでいるガラスは中心だけが球のような形になっていて、そこから僕たちが来た方と進む方、そしてそれと垂直に交わる方向へ筒が伸びている。僕たちが乗った以外にも経路があるらしい。
 ガラス球のガイドに沿って百八十度回転したところで突然ガクンと震えが来て、それが収まったと思ったら今度は全く動きがなくなった。五月が反射的に僕の顔を見る。シャツの裾をつかむ手が不安そうに力んだ。僕も恐かったけど、出来るだけそういう様子を見せないよう気をつけつつ係員が言った通りに床を開けてインターフォンのボタンを押す。
 こっちが口を開く前に声が飛んで来た。大丈夫ですか。さっきの人みたいだった。エレベーターが止まった事を伝えると、地上の状況を早口で説明を投げてくる。ガイドの接続に一カ所不備があった。すぐにシステムを調整するから大丈夫。酸素供給システムは問題ないからしばらくお待ちください。
「本当に大丈夫なんですか?」五月が疑り深そうに口を挟んだ。どちらともつかない弱気な答えが返って来る。時間はかかるかもしれない云々。
 うんざりしてインターフォンのスイッチを切った。とにかく待つしかなさそうだった。怖いけど仕方ない。
 僕はカメラを置いて壁際に座り、五月に手招きした。普段だったらちゃんと呼ぶ所だけど、怖がりが声に出そうだから念のため。落ち着かなさそうな素振りを見せつつ僕の隣に腰を下ろす五月。内側に湾曲したガラスが僕たちを近づけるようで少し照れくさい。
 何拍かの沈黙があった後、五月が大きく息をついた。
「君は何もできないって言ったじゃない。あれは嘘」
 その言葉をきっかけに僕たちは語り始めた。この間の模試はどうだった、同じクラスの誰と誰が付き合うことになった、どこの担任が授業中に切れた。砂利に埋もれた玉石を探すように、普段は思い出すことさえ忘れてしまうような事柄達を丁寧に拾い上げて行く。そうすることでガラスの隙間から入り込んでこようとする不安と恐怖を何とか紛らわし、互いの存在を確かめ合う。
 そういえば五月とこんなに話すのは久しぶりだった。肩を並べて座っているのだってそう。高校に入った頃からだろうか。気づけば僕たちはいるだけになっていた。幼い頃からずっと一緒で、いつだって何でも話してきたのに。いや、もしかしたらずっと一緒だったからこそ気づかない間に何もなくなったのかもしれない。フローリングが気付いたら色あせていたみたいに。
 そのことを話してみたけど、五月は何も答えず謎めいた笑みを浮かべるだけだった。
 もしかしたら僕は何とかするために五月を誘ったのかもしれなくて、彼女はそれに応えてくれたのかもしれない。分からないけど、そういう考え方をしても構わないんじゃないかな。
 それはそうとレベーターはいつになっても復活しないし、連絡が来る気配もなかった。時間を見ようにも腕時計は磁場の関係で使えなくなっている。悪い事ばかり係員の言った通りだった。すぐに直るという台詞はどこに行ったんだろう。そんな事を考えているうちにいつしか話題も尽きてしまって、あとはもう流れる地底をただ眺めるしかなかった。
 形のない金属達をぼんやり見ていると、段々と何もかもどうでも良いという気分がわき上がってくる。もしここが壊れて外に放り出されたらどうなるんだろう。きっと目の前を流れる物達に溶けて混ざって、地球のあちこちに散ってゆくだけなんだろう。それはそれでいいんじゃないだろうか。考えれば考える程それはまともな事のような気がする。横目でちらりと五月を見る。彼女も同じ気持ちでいるかもしれない。
 再びどれだけの沈黙が続いただろうか。僕は軽い気持ちで五月に打ち明けた。
「もしこのまま駄目になっちゃったら、一緒に消えてなくなってくれる?」
 五月はまじまじと僕の目を覗き込み、それから口元に手をやって考え込むような表情になる。
 何秒か何十秒か、とにかく長い時間が過ぎた頃、とうとう諦めたような笑顔で彼女は言った。
「仕方ないなあ」
 僕は五月の手に自分の手を重ね、気づけば夢のない眠りに落ちていた。

 どれだけの時間が過ぎたのか分からない。とにかくインターフォンが鳴り出した。慌てて飛び起き床を開ける。最早聞き慣れてしまった声が復旧を告げた。彼は嬉しさと達成感と申し訳無さが入り混じったような口調で何度も謝りながら、身体はどうか、精神的には大丈夫かとまくしたてる。大丈夫とだけ返して僕は早々に通信を切った。そしてエレベーターが動き出した。
 それから地球の裏側に到着するまで一時間もかからなかった。これだけのために散々な目にあったと思うとため息が出そうだったけど、考えてみれば「だけ」っていう程の事じゃない。地球のあっちからこっちなんだ。それなら仕方ないか。少なくとも五月はそんな風に諦めてるみたいだったので、僕も真似することにした。
 乗り物が定位置に止まるとガラスに切れ目が入り、気の抜けるような音を立てて外側へ開く。それとほぼ同時に現地の社員らしき人達が駆け寄ってきた。皆が口々に謝罪の言葉を述べ、報道機関は追い返した事とか補償がどうとかまくしたてる。上の空で聞きながら五月の方を振り返ると、惚けたように空を見上げていた。
 つられて顔を上げると空はオレンジと白のあちらに大きな太陽をゆらめかせていて、僕はあれから半日が過ぎた事を知った。


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