キャンバス

 バイオリンの旋律で目が覚めた。目の前に広がる湾曲した特殊アクリル板がわずかにずれたかと思うと、モーターが一休みしたみたいな音を立てて頭側から天井に向かって開いて行く。カプセルから冷たい空気がほっとしたように流れ出す。
 主旋律にツインドラムが重なるタイミングで私は身体を起こした。背骨が打楽器よろしくパキリと乾いた音を立てた。
 半球型の仮眠室はカプセルから排出された冷気が絨毯になって柔らかな雰囲気。壁と天井を兼ねた薄灰色の合金板は相変わらず殺風景だけど、もう何度も見てるから慣れっこだ。
 軽く見上げるとアナクロな数字盤がカウントダウンを続けてる。黒地に赤く染め抜かれる7つのセグメント。6から5へ、4、3、2。早く操縦室へ行けと私をせき立てるように、淡々と秒を刻む。それを眺めてるうち、浮遊感のあるキーボードが主旋律に重ねられた。私はそれに合わせて気持ち良く伸びを一つ。
 仮眠カプセルの端をまたいで立ち上がるとわずかに膝から力が抜けて、危うく前のめりに転びそうになる。さすがに寝ている時間が長かったせいか、寝起きはちょっと辛い。身体が自分のものじゃないみたいに思える。私は何度か屈伸をしてちゃんと思い通りに動いてくれることを確認、それからカプセルに敷かれた布団をまさぐって目薬を取り出した。あと、足探りでスリッパも見つけて裸の足につっかける。
 両目に目薬を落とし、それから壁の網膜認証機に顔を近づける。すると一秒ちょっとウッドベースみたいな震えがあった後、ピコンと当たりの音が鳴って脇の扉が開く。私の背より少しだけ高い自動引き戸。何百年も使われてなかった割に立て付けは悪くなってないみたい。私はついでに認証機を鏡にしてボサボサの髪を手グシで直し、左の手首にはめていた髪ゴムで首の後ろに結わいてやる。起きる準備オッケー。服はパジャマのままでいいや。
 腕を振り回したり軽くもも上げなんかもしながら部屋と同じく殺風景な廊下を抜けて、もう一度自動ドアをくぐると操縦室。手すり付き回転式の椅子と三面に広がる操作盤が、懐かしいようなそうでもないような複雑な感覚を私に覚えさせる。何しろ時間は過ぎても私は寝て起きただけだし、夢さえ見ていなかったのだから懐かしいも何もない。
 既に不規則に光り出している操作盤を見つつ、椅子に座って手すりの静脈認証を通過させる。ここでもピコン。私はちゃんと私のまま。曲は中盤に差し掛かり、主旋律のうねりが激しさを増し始めた。この辺りの展開は、自分でプログラムしておいて何だけどなかなかのもんだと思う。高音部の抑揚なんてちょっと他の人には真似できないんじゃないかな。
 適当にボタンをいじくって数値類を確認する。仮眠に入ってから327年144日5時間23分とちょっとというところで、迎えが来るまではというと、あと3分もない。もうちょっと余裕を持って起きても良かったかもしれない。ギリギリまで寝てしまうのは私の悪い癖で、何度注意されても全然直らない。
 顔の前でパンッと手を打ち合わせると、それを合図に斜め上のシールドが開かれた。その先に広がるのは無限の黒いキャンバスと、意思を持った雪みたいにそこかしこできらめく星々。これもまた懐かしさ混じりの感覚を私にくれる。こちらは操縦室と違って子供の頃から慣れ親しんだ風景だからあんまり違和感は感じない。
 音楽に混じって通信の着信音が室内に響いた。私は少し迷ってから操作盤奥の着信ボタンを押して、クロからの通信を受諾する。
「おはよう、ナツメ」
 クロの声は寝る前に聞いたのと変わらないのんきなトーンで、私は少し安心する。
「おはよーう」
「よく眠れた?」
「寝た寝た。まだ寝ぼけてる感じ」
「駄目だなナツメは。ちゃんと拾えるようにスタンバイしておかないと」
「今やってるって。船が。自動で」
 私の言葉通り、操作盤は音楽に合わせてあちこちでパチパチと色を変え、一瞬ごとにモザイクを形作っては崩し、次々に新たな模様を描きながらクロの到着に備えてる。ちょっと耳にしただけじゃインプロヴィゼーションみたいに絡み合っているようにしか聞えないバイオリン、ドラム、キーボードその他諸々は、混沌としているようにみえて実は秩序だった楽曲になってて、そのメロディで船を操縦してる。そう、キャンバスと名付けられたこの旧式宇宙船は、音で自動制御されるちょっとメルヘンチックな代物なのだ。
 ドラムソロが始まった。もうすぐクロが私を拾いにやって来る。
「座標合わせるよ」とクロ。少し事務的な口調になる。
「オーケー。軸はx、y、zそれぞれ396、395、741」
「はい。座標は1002、3027、952だね」
 宇宙は無限だけど人間がいる区域は有限だから、どんな場所にも座標は存在する。ただ、座標だけで表すとそれこそ天文学的数字になってしまうから軸を設けてやる。太陽1個ごとにそれぞれ1本の軸。太陽の数だけでもとんでもない数にのぼることが分かる。
「座標さあ、1002、3027、954って言ってなかったっけ。こっちそうなってるんだけど」
「言ってないよ。952だって」
「待ってよ、それじゃ駄目じゃん。またずれちゃう」
「あらあら。今から直せるかな?」クロの口調はあくまで能天気で、私はちょっとイライラ。
「寝る前に設定しちゃったから無理だよー。どうしよう」
 ドラムソロが終わって最後の疾走が始まる。今まで部分部分だった演奏が一つになって、曲のテンションはもう最高潮だ。そしてクロがここに来るまでもう何十秒もない。
「仕方ないなあナツメは。それじゃさ、今回は諦めてもう一度設定し直すしかないね。その間また仮眠とればいいじゃない」
「良くないっ」
「でももう遅いし」
 窓の遥か向こうに一際強い光が生まれた。それは瞬く間に大きくなって、私の船目がけて突っ込んでくる。シンバルがシャンって瑞々しく響く。
「見えた見えた」とクロ。
「こっちも見えた−−ひゃっ!」
 光があまりに強くなって、私は思わず両腕で目を覆う。
「ああーらら」
 クロの間延びした声が室内を満たした。彼の船はすれ違って、もう遥か彼方へ飛び去ってしまったのだ。私は力なく操作盤に突っ伏す。これでまた振り出しに戻っちゃった。次で何度目になるんだったっけ。音楽の方も終わりを告げて、操作盤は今や真っ黒な板に戻ってる。
「大方スネアドラムの位置でも間違えたんじゃない? ナツメのドラムはセンスに頼り過ぎだからね」
「あーもーうるさいなあ。これから検証するって」
「じゃ、次はうまく行くように祈ってるよ。えー、ちょっと待ってね。次は、そう、また154年と2ヶ月と……細かいことはデータ送ったから見てみて」
 クロがそう言うと、操作盤に位置と時間のデータが表示された。それを見て私はうめき声をあげる。150年という時間は仕方ないにしても、位置がまた難しい。下手したら今回よりも複雑なんじゃないかっていうくらい。
「クロー、もうちょっと易しいのにしてよ」
「それじゃ格好悪い曲になっちゃう?」
「や、すごくいい感じの出来そう」
「ならいいじゃない」
「そうだけど」
 そうなんだけどさ、また今回みたいにスネア一つで何百年なんてことになるのは困ります。
「それじゃ頑張って」
 その言葉を最後にクロは通信を切った。
「あ−」
 私は言いかけてため息をつく。また一から打ち込みやり直し。とりあえずコーヒーでも入れよう。



後書き

 くろっくすたーの管理人、くろのさうるすさんに贈った作品です。モチーフはROVOというバンドのCanvasという曲。
 クロという名前はくろのさんからいただきました。ナツメはナツメです。


最後まで読んでくれてありがとう